そういえばタガってどうなったの?
マニラ!!!
僕は歌詞を見ながら音楽を聴く事と世界地図を眺める事が趣味なんですが、もう毎日の様に世界地図眺めてて、ふと次はフィリピンだなと思った時がありました…。
まぁ貧めな国に渡航したいという漠然とした心持ちは無い訳ではないが…。
あと理由をあげるとしたら暑い国に行きたい!とかそんなもん。
そして今回選んだのが韓国経由のフィリピントライ。
なんやかんやあって空港まで来て、飛行機に乗り込んだがまさかの機内トラブルで30分遅れでの出発。
16時30分に離陸し、18時30分にまずは経由地であるソウルのインチョン国際空港に到着する。
なんやかんやあって無事到着!
この空港、話では聞いてたけどほんまに広い!
みんな肌綺麗‼‼
それから少し待機して19時50分にインチョンを発つ。
CAにはやはり韓国人に間違われた…。
取り敢えず3人でビールで乾杯!
自分は23歳でマリアは20歳。俺のが3歳年上なのにかわいいとか言われ、完全にバカにされている感じ…。よしよしされたんですけど…。
やはり外人は大人っぽい。
確かに俺は俺で完全に自分より年上や思ってたからな…。
みんなで写真とか動画を撮ってそれなりに楽しかったかな。
そして現地時間22時45分にマニラのニノイアキノ国際空港に到着した。
とりあえず暑い‼
でも毎回これこれって思う‼
南国の熱く湿った空気が大好きです‼
まぁ夜も夜で危険だなとか思いながらも足が勝手に街へ向かって歩き出す。
外では10歳にも満たない様な子どもが数人で固まって寝ていた。
1時間程外を練り歩いたが宿も見つからず仕方なくその辺のベンチでバックパックを枕にして寝た。
次の日は朝4時に起床し行動開始。
取り敢えず安宿に泊まろうと思いユースホステル探し。
事前に調べて確か空港近くにユースがある筈!
だった…。
でも全く探し当てる事ができない…。
そして、その内なんとも怪しげな集落に入り込んでしまう。
しかしこのアホはそんな事は全く気にせずに進んで行く。
周辺のフィリピン人の視線が少々気になるが更に奥へ進む。
と、
その内に十数人もの男達に囲まれてしまった!
十数人もの外国人が俺に向かってタガログ語で何か叫んでいるが解らない‼‼‼
外国人何言ってやがる!
全く何を言っているか解らない…!
それもその筈、この国での外国人は俺なのである。
アイムパニック‼
そして一人の男が俺の持っていた一眼レフカメラを取り上げたっ!
そしてもう一人の男が俺のバックパックのチャックを強引に開けたっ!
そして次の瞬間!
入れたっ‼
カメラを…。
ど、どういう事⁇
取り敢えず落ち着かせ、簡単な英語で説明してもらうと、どうやらこのエリアは貧しい人達が暮らす所で俺みたいな金持ってそうな?外人が形振り構わず入って来たら、下手したら撃ち殺されると腕をライフルを持つ形にし、ジェスチャー混じりに言っている。
あと何故カメラを隠すのかと言うと、武器と間違われるからであるらしい…。
これ以上進んでいたら射殺されていたかも知れないと言われた。
すぐさま回れ右させられ背中をボンッ!と押され、少し背中をソワソワさせながらも撃たれずなんとか引き返す事ができた…。
もう少しでフィリピン人に撃ち殺されるところだったのか…。
でもフィリピン人に助けてもらったのか…。
少々値段は張ったが、2日連続のベンチもなぁという事で決めました。。。
宿も決まり夕食を取ろうと外へ出ると、タバコを吹かした16歳の女の子が声を掛けて来た。
俺の拙い英語で暫く話をした。
話している内に何やら距離が縮まってきたと思ったのか明らかに誘っている雰囲気…。
一瞬男としての本能が出掛かったが、ここで乗ってしまったら旅人ではない!てか16歳…笑
そう思い、NO‼と少し大きめの声で突き放す。
そして今から用事がある事を伝え、再び夕食探し。
しかし、その後も俺の事を付き纏ってくる女の子。でも俊足で逃げ切ってやりましたよ。
という訳で夕食を無事終え、今度は宿の現地人スタッフ達と飲みに行く事になった。
フィリピン音楽が爆音で流れる店で飲んだ。
そんな感じでこの日は終了。
翌朝はスコール的な大雨に見舞われた。
ホームレスも歩道橋の下で雨を凌ぐ。
そんな中、小学低学年ぐらいの二人の男の子に出会った。
見ると二人は靴を履いておらず裸足だった。
すぐさま金をせびってくる。
が、警備員らしき人物にあっちへ行けと怒鳴られた。
俺が名前を聞いても、家を聞いても彼等から返ってくる言葉は「Money」
俺はさっき購入したハンバーガーを彼等にあげ、家へ帰る様言った。
少し歩き、リクシャーを捕獲して運転手にユースの場所を知っているか聞く。
すると運転手は知っていて、値切りまくって50ペソ(約120円)で連れて行ってもらう事に。
そして15分程走った所にそれはあった。
念願のユースホステル
締めて270ペソ(約600円)。
さすがユース!
二階建てで一階はキッチンと大勢でテレビが見れる部屋になっていた。
二階は映画「フルメタルジャケット」を彷彿とさせる十数個の二段ベッド。
ここにあとから二人のヨーロッパ人とこのユースに沈没していると思われる数人のアジア人が居た。
俺はベッドを窓沿いに決め、荷物を置き一階へ。
するとジェイサーとシーザーという小学生ぐらいの子どもに出会った。
彼等の持っていた鳥のラジコンで遊んだり、俺のカメラで写真を撮ったりした。
朝から晩まで遊んだと思う。
彼等の家族とも仲良くなり、御飯を一緒に食べないかと言われた。
嬉しかった。
今日は朝から何も口にしていなかったし、既に夜で外は昨日の事もあり危険なニオイがしたから明日の朝まで我慢しようと思っていた。
「旅とは、行く先々で人の親切を食って生きる様なものだ」
深夜特急で沢木耕太郎氏が言っていたこの言葉をその時に思い出した。
ほんとにそうだと思った。
食事をしながら家族とは東日本大震災の話をしたり、子ども達からは簡単なタガログ語などを教えてもらったりした。
ジェイサーとシーザーの兄弟や姉妹も大勢居て、家族、親戚を合わせると十数人は居たと思う。
そんな中で見ず知らずの日本人に御飯を御馳走してくれたのはきっと何かの縁だと思ってくれたからだと思う。感謝。
夕食後は子ども達が俺に飛び付いてきてくれたり、完全に心を許してくれていた。
明日日本に帰ると告げると子ども達は悲しそうにしてくれた。
次の日は全身20箇所ぐらいを蚊に刺され、とても不愉快な朝だった。
でも別れを惜しんでくれるこの家族一人一人と握手を交わし、とても幸せな気持ちになった。
そしてフィリピン最後の日をそんな気持ちであとにする事ができた。
蚊に刺され過ぎて病気になるんじゃないかという不安もありつつ……。
他にもこんなにもたくさんのオモシロイ旅人たちが世界を旅しています。
タガが激安価格で登場♪お買い得品いっぱい♪
マニラ!!!
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なんやかんやあって空港まで来て、飛行機に乗り込んだがまさかの機内トラブルで30分遅れでの出発。
16時30分に離陸し、18時30分にまずは経由地であるソウルのインチョン国際空港に到着する。
なんやかんやあって無事到着!
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みんな肌綺麗‼‼
それから少し待機して19時50分にインチョンを発つ。
CAにはやはり韓国人に間違われた…。
取り敢えず3人でビールで乾杯!
自分は23歳でマリアは20歳。俺のが3歳年上なのにかわいいとか言われ、完全にバカにされている感じ…。よしよしされたんですけど…。
やはり外人は大人っぽい。
確かに俺は俺で完全に自分より年上や思ってたからな…。
みんなで写真とか動画を撮ってそれなりに楽しかったかな。
そして現地時間22時45分にマニラのニノイアキノ国際空港に到着した。
とりあえず暑い‼
でも毎回これこれって思う‼
南国の熱く湿った空気が大好きです‼
まぁ夜も夜で危険だなとか思いながらも足が勝手に街へ向かって歩き出す。
外では10歳にも満たない様な子どもが数人で固まって寝ていた。
1時間程外を練り歩いたが宿も見つからず仕方なくその辺のベンチでバックパックを枕にして寝た。
次の日は朝4時に起床し行動開始。
取り敢えず安宿に泊まろうと思いユースホステル探し。
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だった…。
でも全く探し当てる事ができない…。
そして、その内なんとも怪しげな集落に入り込んでしまう。
しかしこのアホはそんな事は全く気にせずに進んで行く。
周辺のフィリピン人の視線が少々気になるが更に奥へ進む。
と、
その内に十数人もの男達に囲まれてしまった!
十数人もの外国人が俺に向かってタガログ語で何か叫んでいるが解らない‼‼‼
外国人何言ってやがる!
全く何を言っているか解らない…!
それもその筈、この国での外国人は俺なのである。
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そして一人の男が俺の持っていた一眼レフカメラを取り上げたっ!
そしてもう一人の男が俺のバックパックのチャックを強引に開けたっ!
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俺はさっき購入したハンバーガーを彼等にあげ、家へ帰る様言った。
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すると運転手は知っていて、値切りまくって50ペソ(約120円)で連れて行ってもらう事に。
そして15分程走った所にそれはあった。
念願のユースホステル
締めて270ペソ(約600円)。
さすがユース!
二階建てで一階はキッチンと大勢でテレビが見れる部屋になっていた。
二階は映画「フルメタルジャケット」を彷彿とさせる十数個の二段ベッド。
ここにあとから二人のヨーロッパ人とこのユースに沈没していると思われる数人のアジア人が居た。
俺はベッドを窓沿いに決め、荷物を置き一階へ。
するとジェイサーとシーザーという小学生ぐらいの子どもに出会った。
彼等の持っていた鳥のラジコンで遊んだり、俺のカメラで写真を撮ったりした。
朝から晩まで遊んだと思う。
彼等の家族とも仲良くなり、御飯を一緒に食べないかと言われた。
嬉しかった。
今日は朝から何も口にしていなかったし、既に夜で外は昨日の事もあり危険なニオイがしたから明日の朝まで我慢しようと思っていた。
「旅とは、行く先々で人の親切を食って生きる様なものだ」
深夜特急で沢木耕太郎氏が言っていたこの言葉をその時に思い出した。
ほんとにそうだと思った。
食事をしながら家族とは東日本大震災の話をしたり、子ども達からは簡単なタガログ語などを教えてもらったりした。
ジェイサーとシーザーの兄弟や姉妹も大勢居て、家族、親戚を合わせると十数人は居たと思う。
そんな中で見ず知らずの日本人に御飯を御馳走してくれたのはきっと何かの縁だと思ってくれたからだと思う。感謝。
夕食後は子ども達が俺に飛び付いてきてくれたり、完全に心を許してくれていた。
明日日本に帰ると告げると子ども達は悲しそうにしてくれた。
次の日は全身20箇所ぐらいを蚊に刺され、とても不愉快な朝だった。
でも別れを惜しんでくれるこの家族一人一人と握手を交わし、とても幸せな気持ちになった。
そしてフィリピン最後の日をそんな気持ちであとにする事ができた。
蚊に刺され過ぎて病気になるんじゃないかという不安もありつつ……。
他にもこんなにもたくさんのオモシロイ旅人たちが世界を旅しています。